こんな人に読んでほしい
- 船乗りに興味がある方
- 今現在船乗りが辛い方
- これから船乗りになりたい方
- 現役船乗りの方
どうも元うつ病船乗りです。
某大手三社海運に勤める外航船員です。
私は約8年前3等機関士時代に仕事が原因でうつ病にかかりました。
人生で2隻目の乗船でLNG船に2カ月乗船した時のことです。
2カ月間社内でも有名なパワハラ機関長にいじめられ地獄のような辛さを味わい、自ら下船希望を出して船を降りました。
船をおりたあとうつ病と診断され半年間の休職をしました。
半年間の休職を経て、現在は復職し1等機関士です。
私がうつ病にかかった経緯を公開します。
当時毎日日記をつけていましたので、その日記を基にお話しします。
8年も前ですが鮮明に当時の記憶は残るほど辛かったです。
乗船の始まり
乗船の2週間前に乗船連絡が来ました。
2週間後、LNGタービン船に乗船です。
機関長が少し理不尽で厳しい方ですが頑張ってください。
社内でも有名なパワハラ機関長との乗船が決まりました。
タービン船に乗船することも初めてだし、パワハラ機関長との乗船が不安でいっぱいでした。
しかし私自身、機械が好きで作業も不慣れではありませんでした。結果を出せば認めてくれるだろうと安易な考えでした。
パワハラ機関長に耐えれるか不安だ
でも頑張って結果を出そう。
いよいよ乗船!最初のあいさつでキレられる
おはようございます!
今日から乗船させていただきます三等機関士です!
お前なんで今話しかけたんだ、忙しいのが分からねえのか!?
なんで今話しかけたんだ!?
どう見てもコーヒー飲んでPC眺めてるだけじゃないか。
でもとりあえず謝らなくては、、
申し訳ありません!不注意でした!
お前もうどっかいけ、仕事しろ!!今日は俺に話しかけるな!!
もうこの時点で結構精神的に辛かったです。
それから私は、荷役の手伝いや物質見込み、引継ぎを終えました。
前任者の3等機関士も相当辛かったそうです。
1等機関士と2等機関士は普通の方で、3等機関士をストレスのはけ口にするから機関長に気をつけろとのことでした。
今日、出だしは悪かったけど、明日から作業が始まるし結果をだそう!
まだまだ私の意気込みは十分にありましたので、これから頑張ろうとしました。
そして、出航後地獄の飲み会が始まります。
出航後の地獄飲み会
私の乗船したLNGタービン船では出航後すぐに乗組員で行う飲み会が開催されてるそうで私ももちろん参加しました。
飲み会もあまり盛り上がる雰囲気ではありませんでした。その船内では年功序列では一番そのパワハラ機関長が上でした。
乗組員は全員そのパワハラ機関長の話を愛想笑いで、聞くような飲み会でした。
パワハラ機関長結構飲んでるな、大丈夫かな、、
しかし、20時を過ぎたころ突如わたしへの攻撃が始まります。
おい、3等機関士!お前おれの話聞いてんのか!!なんか一発芸をやれ!
え、え、あ、すいません、、
かなり、きょどってしまいました、急にそんなことを言われても対処できるような性格でもありませんでした。
お前機関長の言うことがきけねえのか!!
突然の罵声とともに私めがけて何か投げられました。半分くらいまだ入っているビール缶を投げてきたのです。
もちろん私はビールまみれになりました。さらに、私は肩などを殴られ始めました。
1等機関士がすこし止めに入ってくれましたが、機関長の勢いは止まりませんでした。
3等機関士!俺に謝れ!
機関長の言うことが聞けないなんて不愉快だ!
もうこれは、従うしかない、悔しいけどやるしかない。
やるしかないと思った私は言われるがまま謝罪をしました。
不愉快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。
飲み会中お前は正座だ!!
私は飲み会が終わるまで約2時間正座で説教を受け続けました。お酒も入っていたので本当にきつかったです。
そして、ある日私は機関室、出禁を命じられます。
機関室出禁が命じられる。
辛い中でも乗船から3週間がたった頃、私の失敗が原因で機関室出禁を命じられます。
その日、私は清浄機という機械の整備を行いました。
しかし、今まで私が経験したことのないメーカーのもので1日で作業が終わりませんでした。
この清浄機という機械は私の乗船しているLNGタービン船ではそれほど重要機器ではなく、明日続きをやればいいかという考えでした。
最後まで終わらなかったけど明日終わらせばいい!
重要機器ではないし、、
今日の作業なんですけど、すいません今日中に終わりませんでした。明日続きをやり、作業終了させます。
1等機関士は了解してくれましたが、パワハラ機関長はそんな甘くありませんでした。
なに、ふざけたことを言ってるんだ!
残業して今日中に終わらせろ!終わるまで飯を食うな!
言われるがまま2時間ほどの残業して作業を終わらせ、パワハラ機関長に報告しました。
作業終了しました。時間内に終わらず申し訳ありません。
時間内に作業が終わらないやつに機関士の資格なんてない!
明日から俺が言いというまで機関室に来るな!!
衝撃を受けました。こんな状況初めてでどうすればいいか分かりませんでした。
申し訳ありません、反省していますので、もう一度チャンスをください!
いや、無理だお前に機関士の資格はない!
パワハラ機関長から機関室出禁を命じられた瞬間です。
乗船から約3週間たった頃でしたが、その間も過度の説教や無視などありましたので精神的には限界が近かったです。
その時の私の日記には
「船を降りたい、辛い、どうすればいいかわからない、逃げ場がない」とつづられています。
そして私の機関室出禁生活が始まりました
出禁中に事件
出禁になったけど朝から出勤し、しっかりパワハラ機関長に謝罪しに行こう。
私の考えは出禁になったけど、しっかり謝ることが正解だと思いました。
私は出禁の状況下で、機関室にいき謝罪をしました。
先日は申し訳ありませんでした、機関士としてもう一度仕事をさせてください!
機関室に来るな!出禁といっただろ!部屋に戻れ!
顔も見たくない!
服を引っ張られ、機関室を放り出されました。
もう機関室に戻ることはできないと思いました。何か仕事以外でできることはないかと探し、船の掃除を行うことにしました。
もう機関室での仕事はできないけど他にできることを探してやろう。掃除ぐらいならできるはず。
私は作業着に着替え、船内の掃除を1日中行いました。そして夜ご飯の時間が来ました。
3等機関士お前なんで作業着なんだ!?
今日自分にでもできることをと思い船内の掃除をしておりました。
俺の許可なしに何調子乗ったことをやっているんだ、作業着を渡せ没収だ!
私の作業着がとられました。当時私の来ていた作業着は大学生時代の部活の卒業祝いで貰ったもので大事なものでした。
しかし、渡すしかありませんでした。
そして次の日からは、おとなしく部屋で出禁に従いました。
出禁から5日がたった頃、2等機関士から衝撃的なことをききました。
うつ病へのカウントダウン、精神の限界
3等機関士の作業着が燃やされた。
1等機関士と止めようとしたんだけど無理だったごめん。
詳しく聞くと船には焼却機という機械があり、私の作業着が燃やされたそうです。
私の作業着は大学時代の卒業祝いで貰った大事なものでした。それが燃やされたと聞き、私の心の中で何かがプツンと切れました。
その晩私は、シャワーを浴びながら人生で1番というほど号泣しました。
逃げ場もなく狭い空間でまともな相談もできない。
パワハラ機関長に対する憎しみもありましたが、なにも出来ない自分に対する情けなさが当時は1番辛かったです。
当時の日記には
「毎日海に飛び込むことさえ考える、もう精神の限界」と書かれています。
そして、作業着を燃やされたと知った数日後に体に異変が出始めます。
うつ病への兆候
大事な作業着が燃やされたと知っても、何もできず日が流れていきました。
その間は、不安と、パワハラ機関長に対する恐怖でほとんど眠れていませんでした。完全に精神的に病んでいました。
毎日泣いていました。
食事はできるだけ早く食堂で食べ、乗組員と顔を合わせないような生活をしていました。
もちろん3等機関士としての仕事もどんどん溜まっていき、1等機関士や、2等機関士への負担増加にも申し訳ない思いがありました。
出禁生活から11日が経過したとき、体への異変がでました。昼食を食べていた時です。
食事に味がしない、、、
飲み物も全く味がしない、においはあるのに味がしない。
うつ病の症状である味覚異常が出始めたのです。
どんな食べ物を食べてもにおいのある段ボールを食べているような感覚でした。
しかし、こんな体の状態になっても何もできませんでした、もう完全に無気力の状態になっていました。
部屋でただひたすらこもっているだけの生活をつづけました。
そして、出禁生活から13日後ある人が私の部屋を訪れました。
かすかな救い
3等機関士、すまないもっと早くに対処すればいいかと思ったんだけど、、
遅くても話を聞いてくれようとする1等機関士に感動し、今の状況を泣きながら話しました。
- 大事な作業着を燃やされて悔しい
- 食事に味がしない
- まったく寝れないこと
- 仕事を他の人にやってもらってる申し訳なさ
- 船から逃げたいこと
もう本当に限界です。船を降りたいです。
わかった、それでは一度機関長と話し合いの場を設けてしっかり話そう。それでもし変わらなければ船を降りよう。
分かりました、、
正直もうパワハラ機関長とは話したくもないと思っていましたが、行動しようと思い1等機関士の提案にのりました。
しかし、その話し合いでも追い詰められたのです。
会社をやめろと脅される
話し合いの場に現れたのは機関長、1等機関士、船長と私の4人でした。
3等機関士が今の状況が辛く船から降りたいそうですが、みなさんの意見はどうでしょうか。
もちろん、今の3等機関士の状況を考えると、一度船を降りて気持ちを整理した方が良い。
ありがとうございます。
船長にそういわれたことで、気持ちが少し楽になりましたが、パワハラ機関長が衝撃的な事を言いました。
お前、今すぐ家族に電話しろ!
なぜですか、
家族に会社を辞めるって今すぐ伝えろ!
機関室出禁になったぐらいで船を降りたい奴なんて会社にいらない存在だ、今すぐ辞職しろ!
もうそれ以上言葉が出てきませんでした。
家族まで巻き込もうとしていることにいら立ち、そしてそれでも何も言い返せない自分の情けなさで涙が溢れました。
その後は船長が話し合いの場を終わらせ、船長と二人で話し合いました。
すまない、さすがにあの人は異常だ。
俺も立場上、あの人よりも後輩になるから何も言えなかった本当にすまない。下船する手続きを進めよう。
ありがとうございます。早くお降りたいです。
下船するまでは仕事をしなくてもいい、何も心配するな。
そして私は5日後の次の港で下船することになりました。
約2カ月の短い乗船でしたが辛く濃い乗船でした。
そして下船し家に帰りました。
うつ病と診断
家に帰った時にはもう味覚異常は治っていましたが、全く寝れない日々は続いていました。
パワハラ機関長がずっと夢に出てくるんです。
食事もほとんど食べず痩せていく日々でした。
そして、親が病院に行った方が良いという助言を得て、病院に行き、うつ病と診断されました。
船乗りがうつ病になるという例もききましたが、まさか自分がという感覚でした。
うつ病になったことを会社に報告し半年間の休職をしました。
うつ病になったことを会社に報告した数日後人事の方が私の家を訪れました。
船でどういうことをされたのかは船長に大体聞いているけど改めて教えてほしい。
私は船でパワハラ機関長にされたことを全て伝えました。
- 過度な説教や暴力をされたこと
- 仕事中ずっと無視されたこと
- 飲み会中ビール缶を投げられたこと
- 機関室を出禁になったこと
- 作業着を燃やされたこと
- 会社を辞めるようにいわれたこと
そして私は乗船中、毎日書いていた日記を配乗担当さんに渡しました。
この日記に全て書かれています。
分かった、こういう過度なパワハラがあったことをしっかり会社として取り上げる!この日記を貸してほしい!
もちろん私はその日記を貸しました。
その後
その後私は半年間の休職を経てうつ病を完治し、船乗りに戻りました。
そして、パワハラ機関長は私の証言や、日記を基に会社で問題視され、かなり叱られたそうです。
またパワハラ機関長は海上職から陸上職にさせられ、今でも陸で働いています。
それから、8年の時を経て私は今、某大手3社海運の一等機関士として仕事をしています。
今となっては冗談交じりに話せていますし、とてもいい反面教師がいたことに感謝しています。
今私の仕事のやりがいは少しでも若手船員が働きやすい環境を作ることです。
今辛い船乗りに言いたいことは、必ず味方はいます。
少なくとも私はそんな人の味方です。
もし船乗りが辛いなどの悩みがある方は是非相談してください。
匿名で構いません。どんな相談にも乗ります。
1人で抱えないでください。
下記のお問い合わせよりお願いいたします。
お問い合わせ
コメント